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今日は三島由紀夫割腹自殺から45年

今から45年前の11月25日、三島由紀夫は自衛隊阿佐ヶ谷駐屯地のバルコニーで自衛隊の決起を促す演説をしたあとに割腹自殺した。介錯は楯の会学生長の森田必勝。

僕は高校一年生だった。学校から帰ると母が、三島由紀夫が死んだんやてェ、と言ったのを覚えている。三島と言うと当時の僕はムードコーラスの「三島敏夫とそのグループ」しか知らなかったので、恥ずかしながら「何で歌手の三島が死んだんや」と思ったことも覚えている。

テレビを点けてみるとそのニュースばっかりだった。バルコニーで絶叫する三島由紀夫の姿が今も目に焼きついている。事件後に発売された写真雑誌〔多分、毎日グラフだったと思う〕には、介錯されて切られた三島の首が床の上に置かれた写真がトップを飾っていた。今も実家のどこかにある筈だ。

三島は、戦後体制の中での「自衛隊」の曖昧な存在を憂い、クーデター決起を促したが、バルコニーを取り巻く自衛官らの罵声と、上空を飛ぶ多くのヘリの騒音に声をかき消され、最後は「天皇陛下万歳!」を叫び、すぐさま部屋に入って割腹自殺した。〔この演説の前に東部方面総監を監禁して複数の自衛官を傷つけたことは非常に残念である〕

事件後に三島に興味を持ち、彼の著作を読み、行動を知るにつけ、「日本の文化と自分」を考えるようになった。

三島由紀夫、本名は平岡公威。系図をたどると片や後醍醐天皇に、片や徳川家康に連なるという。

三島は死の4ヶ月前に産経新聞に寄稿した随想の中で、「このまま行ったら日本はなくなって、その代わ りに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」と語っている。

文楽や交響楽団を客寄せの興行としか見ない軽薄な指導者が持てはやされ、圧倒的多数に支持される現在に、もし三島翁在りせば、どのような慟哭の詩を謳われただろうか。

くしくも11月25日は旧暦の吉田松陰刑死の日であった。辞世の句は「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜」  「散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」

瞑目合掌

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