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秋の深まりに輪廻転生を思う

ベルレーヌbaiorin

広葉樹が色づき、早くも落葉の季節となった。コスモスの美しい花の陰には朽ちた桜の落ち葉が潜んでいる。波乱に満ちた人生を送ったデカダン詩人ベルレーヌの「秋の歌」を上田敏は見事な翻訳詩「落葉」と為した。

秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し。
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。

中3の頃、秋の日が差す木造校舎の2階の教室で、幾度も読み返した「落葉」
こんな叙情的な歌を歌ったベルレーヌが、実は破滅的な人間で、妻に乱暴を繰り返し、結婚しているのに若き美少年を愛し、また詩人ランボーとの同棲、母に対する暴力事件で入牢するなど、とんでもない人物だったことは後ほど大学生になって知った。娼婦に看取られて死んで行くところなどは、モーツアルトが死んで市民墓地に無造作に投げ込まれる情景と重なり、激しい「生」との対象にある或る種無機質な「死」を思わざるを得なかったのだ。

さて秋が深まれば冬がやって来る。植物は葉を落としある種の動物は冬眠し「仮死」状態になる。中には寒さや飢えに打ち勝てず文字通り「死」を迎えるものも限りない。
しかれども、朽ちた物質は春に生まれてくる新しい命の源となり、ある意味で輪廻転生を繰り返すのだ。
仏教の世界観では、この宇宙そのものが生成から消滅を繰り返すとされており、その時間の概念に比べれば「人」の一生など正しく「刹那」でしかない。我々はその「刹那なる生」の宿命を知ることによって、より深き「生」を得ようと努力し苦悩しながら果てて行くのだ。
須弥山を中心としたこの宇宙を支えているのが地下160万由旬〔古代インドの距離の単位で仏教では1由旬を7キロとする〕に達する【金輪=こんりん】であり広がりは我々の太陽系ほどといわれてもいる。その下には更に深い「水輪」があり更に巨大な「風輪」があって、宇宙の始まりはこの風輪ができることからと言われている。
この金輪と水輪との境目を「金輪際」と言い、とてつもない遠い場所・最後の最後から転じて、絶対に会うことがない等と遣い習わされるようになったと言う。
【ちなみに、観世音菩薩の身長は、80万億那由他=なゆた由旬といわれ、1那由他は1千億または1万億という数の単位である。これを現代の数式に当てはめると、10の27乗×1.28キロメートルとなって、我々が存在するこの宇宙の9千倍という途方も無いもので、寺院に祭られている仏像は謂わば超々ミニチュアと呼んでも良いだろう】

大学時代に仏教に興味をもち、仏教の世界観、さらにはそれを生んだ古代インドの世界観にも触れることで、「袖すりあうも他生の縁」まさしく「他生=他の人・他の存在・他の世界・他の宇宙」によって人は生かされているのだということを知った。結縁と因果。誠に僕のような凡人にはその一かけらすら体得しがたい深甚な思想・観念である。
また古代インド人が発見した最大の功績は「0=ゼロの発見」であろう。「無」という概念でもなく、その概念を否定する概念でもない、般若心経に述べられる宇宙感はこのことだ。そしてこの「無」の中での「ゆらぎ」がはじまり「無」の中に「場」が生まれビッグバンに至って、今の我々の宇宙になったことを日本のノーベル賞受賞学者は教えてくれた。

リインカネーション これはキリスト教ではキリストの再生を言うらしいが、東洋においては「輪廻再生」宇宙そのものの消滅と再生の繰り返しという途方も無く大きな概念となっているのだ。
現にこの地球も太陽も、何回も生成と爆発を繰り返した過去の星達から生まれた物質で成り立っているのだ。
一陽来復。深まる秋に冬の死を思い、その先にある春の再生を思うひと時である。
秋の日の ヴィォロンの・・・  僕の事務所のお向えがバイオリン教室だ。今日もギーィギーィと幼き溜息が流れてくる。いずれ命の儚さを知るまで稽古を続けたら、さぞやベルレーヌ顔負けの「ためいき」を聞かせてくれることだろう。スマホに没頭する子供ではそうも行くまい。

森本勉市政事務所

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