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長屋王墓所~柿本神社~登弥神社

何時ものように高齢の大和の両親に会いに行った。その道中、かねてから尋ねたかった平群にある長屋王の墓所にお参りした。長屋王は天武天皇の孫で左大臣として皇族の期待を一心に集められた秀才だったが、藤原氏の陰謀で謀反の罪に問われ、妻の吉備内親王と子供たち共々に自害してお果てになられた悲劇の皇子である。長屋王の墓所と吉備内親王の墓は200mほど離れて、宮内庁により綺麗に祀られている。吉備内親王の墓所には栗イガが落ちていた。季節の移り変わりを感じた一瞬だった。

長屋王の墓前で (1) 吉備内親王の墓 吉備内親王の墓前に落ちていた栗

両親を見舞ったあと、隣町の新庄にある、歌聖・柿本人麿を祭った柿本神社へお参りした。ここへ来るのは40年ぶりで周囲もすっかり様変わりしていた。

柿本神社は柿本山影現寺の寺内宮であり、この寺からは幾多の高僧が輩出されている。拝殿には三十六歌仙の歌額が飾られていた。神社境内には柿本人麿の墓も祀られている。史実に拠れば石見の国で亡くなっていて、それも水死したと伝えられており、梅原猛さんは著「水底の歌」で悲劇の歌仙の姿を描いておられるので是非お読み頂きたいと思う。

柿本神社 三十六歌仙の歌額 柿本神社のある柿本山 影現寺の沿革 柿本人麿の墓

帰りは高田から河合町を抜けて西の京「法起寺」前を北上。道を少し迷ったところに大きなお社を発見。早速お参りした。神社は、式内社の登弥〔とみ〕神社で別名を木嶋〔このしま〕大明神と称されているとのこと。

物部氏の始祖である饒速日尊〔ニギハヤヒノミコト〕を祀る。この神様は、ニニギノミコトが日向の高千穂の峰に天下られる以前に、アマテラスオオミカミから10種の神宝を授かって、河内の哮峰(いかるがのみね)=生駒山の北嶺と言われる=に天下った。
付近一帯に勢力を張っていたナガスネヒコ(長髄彦)を服従させ、その妹を妻としたと伝えられている。イワレヒコ〔後の神武天皇〕が大和平野に進出した時に、ナガスネヒコは反抗したが、イワレヒコが天孫であることを知ったニギハヤヒはナガスネヒコを斬ってイワレヒコに帰順したという。群臣の中でも物部氏は特別な存在であり、出雲地方にも立派な物部神社がある。

登彌神社 修理中の登弥神社社殿

ときおり小雨がパラつく天候だったが、しばし、歴史のロマンに浸った1一日であった。

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