元気モリモリもりもっちゃん・四條畷市会議員/森本勉公式サイト

無常という事、役所と言うところ

小林秀雄の有名なエッセーに「無常という事」がある。昔は大学入試にもよく出題されたものだから、非常に難解であったが、ひたすら貪り読んだものだ。彼の、と言うか、彼の心象を通じて発露される日本人の死生観、昔の、なま女房が現世よりむしろ死後の救済を願ったという一文に象徴される日本人の心であり歴史観にも置き換えられる珠玉の名文であると思う。
其れに倣って、「役所と言うところ」と銘打ったエッセーを書こうとしたところで、はたと止まってしまった。
この小林のエッセーのテーマは「無常」であるが、一方では「無常」そのものを掘り下げるものでもない。最終的には「生きることの充実感」と置き換えられる、肯定的な心象風景に行き着くのだ。
さて、役所とは何ぞや、とテーマにしたとき、正しく生の営みの象徴でありながら、無機的なシステムの中で、本来は個人個人の生活を快適なものにする為の機関であるにも係わらず、いわゆる「役所の論理」の下で、時として住民に不条理を押し付ける実例は枚挙に暇がない。
幕藩体制下にあっても、明治新政府ができても、我が国は中央集権国家であった。幕府と、それに隷属する藩主、藩主から農民に至る迄のヒエラルヒーは、国の体制が変わっても結局は変わることがなかった。
敗戦後に占領軍が持ち込んだ西洋的統治方式に於いても、換骨奪胎されて今に至っている。地方自治とは、名の通り理解すれば、住民による自治と解するのが正鵠を得るのであろうが、現実には、住民自治とは名ばかりで、「お上」が住民を支配する構図に変わりは無い。
幾多の碩学が地方自治についての考えを開陳して来られたが、観念論に走りすぎるきらいが多く、住民の実感とは懸け離れた学術論文に陥って居ると言えば失礼に的るか。
さて、小林がエッセーで掲げるテーマは、テーマに帰結することなく、テーマを普遍化して行く中で、より深い真理の深淵にたどり着くのであるが、同じ「生の営み」が土俵である「役所考」では、どうやら其れをやると迷路深まるばかりで光差す到達点は遠ざかるばかりなのだ。
「役所」が既に一個の生命体となり、その生命を維持するためには独自のドグマに自ずから依存するのは、むしろ当然の事かも知れない。
そこで唯一救いがあるとすれば、まかりなりにも、選挙を通じて発露される民意であり、現に民意が行政を大きく動かすことも多々ある。
不幸なのは、民意を受けて登場した政治家が、その民意を省みることなく、役所の一部品に転落してしまった時だ。
地方議会不要論が噴出してくるのは、まさにその現象に対する慟哭であり、憤怒があるからだ。
なま女房は、何も無くてもそうろう、と死後の幸せを願ったが、地方自治ではそうは行かない。今の住民からも未来の住民からも、正しい政策判断が為されてきたと評価されるべく、職員の皆様は奮闘しておられることに疑いは無い。しかし、その政策決定の根拠が役所独自のドグマに於いてなされる場合が剣呑であるにも係わらず、それに気が付くことがない。
住民はそれを嗅ぎ取っているから、そこに風穴を開けてくれると期待できる指導者、例えば橋下大阪市長のような人を求めるのだろう。
そして役所の面白いところは、指導者が変われば従来示してきた価値観を自ら変えて泰然とする。このことにこそ、私は今の日本の危うさがあると考える。
以前に役所の幹部と将来のことについて話し合ったときに、そんな頃にはワシらは居てまへんがな、と言われたことがあった。随分正直な人だと思った。
壱個の生命体は己の命を全うする迄、子孫を残し、病気と闘い、現実と理想の中で葛藤を続けるのだ。
けれども「役所」という生命体は、政治と言う名で遺伝子を変えることに長け、財政は健全化したけれど住みたくないような街に変えてしまったり、住民の理想とは乖離した独自の理想を掲げるのだ。
その住民の心を行政に届ける政治家が、闘う心を失ったら議会制民主主義なんぞは画餅に化すことは明白だ。ましてや選挙に通りたいだけで、確固とした政治観とは程遠い、右顧左眄して媚を売るような指導者が出てきた折には目の当てようも無い。役人天国と揶揄される、統治不全・政治不在の行政になってしまう。
小林はこのエッセーの中で、歴史を直視することで「生」を実感したのだと思うが、政治家も行政も、今一度歴史を振り返り、歴史を再確認する中で、「今」生きる人々の幸せを考えなければ存在意義を失ってしまう。
橋下さんは、文楽を、興行が成り立たないものに公金を支出するのは間違っているとされた。しかし、この芸術をどのような思いで守り育ててきたか、そこにある幾多の人々の情念に満ち溢れた「大阪の文化」とは何なのか、という観点が欠けている。
今、四條畷市では大規模な学校の統廃合が進んでいるが、果たして学校とは教育機関だけの性格を持つものなのか、地域統合の象徴ではないか、効率だけが人の幸せをもたらすのか。
学校を守り育ててきた歴史に思いを馳せれば、将来の住民の心が見えてくる筈だ。今一度、住民自治の原点に立ち返って、役所の為すべき役務について考え直して欲しい。過疎地を造りたいのなら話は別だ。
小林秀雄と言えば、高踏な論説で鳴らした人だったが、あるとき酔っ払って駅のホームで転倒したことがあったらしい。それを聞いた或る文人が、小林さんも人間なんだと言ったとか。
とかく、人のすることに全て正しいものなど無いし、全ての人から喜ばれるものも無い。だからこそ、市民から尊敬される行政とは、懇切丁寧に市民の声を聞くことに最大限の努力を惜しまないことだと思う。
ワイマール憲法下で、合法的に政権を握ったナチスは、その後どのような道を歩んだか。大阪都構想だって、その細目を理解している市民は殆ど居ない。慎重居士になることが時には必要だ。為政者は軽佻浮薄の愚民だと鼻で嗤っているかもしれない。
ここは、市民ももっと覚醒して有権者としての自覚と責務をもって、賢い有権者として、もの言う有権者として行動して行くことが必要だ。
たまに酒を飲みすぎて転んでしまっても愛嬌で済むが、街を衰退させてしまうかも知れない政策が進めば、覆水盆に返らず。あとの祭りとは言い得て妙だ。
さてさて、冥界の文豪小林秀雄は今の日本を苦々しく思いながら、酩酊しておられるのだろうか。

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